11月になり、季節は秋から初冬へとうつろおうとしています。外出自粛が続く中、自然に恵まれたこの地では、通退勤の短い時間にさえ、木々が紅葉していく様を見ることができます。施設のプロムナードの桜や楓はすでに色づき、歩道に枯れ葉を散らしています。
9月に、彼岸を知らせるように咲いた真っ赤な彼岸花は立ち枯れ、すっくと伸びていた茎の根元には水仙の葉によく似た葉がかたまりになって伸びてきました。この彼岸花(曼珠沙華)は、「葉は花を見ず、花は葉を見ず」と言われ、花と葉が同時に姿を見せることはありません。生物としての科学的根拠があるのでしょうが、現象として珍しく、「花と葉」に心があったなら、そんな自分たちのことをどんなふうに思うのか聞いてみたい気がします。
「死人花(しびとばな)」の異名もあり、まっさかりの頃はどんなにこの花が鮮やかで綺麗でも切って花瓶に入れるものではない、という古い言い伝えがある一方で、今はあまりこだわらずに生けて良いという人もあります。
この花が3,4ヘクタールの公園一帯に咲き、全国から年間20万人が訪れるという埼玉巾着田の「曼珠沙華公園」を管理する日高市は、今年は新型コロナウイルス感染予防のため、花が咲く前に新芽を全部刈り取ったとニュースで報道されました。桜の季節にも、各地で名所となっている桜の景勝地に人が密集しないよう工夫をしたところも多かったのですが、さすがに桜の木を切り倒す、という選択肢は無かったのでしょう。
彼岸花の葉は冬、雪の中に深緑の葉先をのぞかせて私たちに力をくれ、春には消えます。こんなささやかな謎が、世界中の自然界の動植物にどれほどあることでしょう。ひとりの人が生きているうちに知る「世界」の小ささに、思いをいたしたことでした。