院長から

「かぼちゃ」、海に流される

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香川県の直島、通称「現代アートの島」の桟橋に設置されている、草間彌生作の『南瓜』が台風9号の被害を受け海に流れ出た、とのニュースには驚きました。海に転がった高さ2m、幅およそ2.5mのかぼちゃは、引きあげのとき3つに割れてしまい、現段階では修復の可否は不明だそうです。2019年12月の、福寿荘職員親睦会主催の「瀬戸内・小豆島旅行コース」には、9名の職員が参加して、直島の地中美術館を訪れ、この「世界一有名な南瓜」を観たり触ったりしています。

わたしもこの美術館ができたとき、是非行ってみたいものだと思っていましたが、目的地に着くまでの所要時間や手間(美術館見学には事前予約が必要なこと、島の宿泊施設が少なすぎること)を考えて結局あきらめ、代わりに十和田美術館や長野県の松本美術館で、同じく草間彌生作の「南瓜」や「水玉のオブジェ」を観てきました。

どんな生物にもいのちがあるように、「もの」にもいのちがあります。無論それは生物学的な「生」ではありませんが、道具としての耐用年数や美術品の価値を「寿命」と表現することでも、我々が自然と「もの」にも生命が宿っていると考えているのがわかります。事故や天変地異、或いはテロ等の暴力行為で、価値ある建造物や美術品が失われることは往々にしてあります。

2007年、阪神・淡路大震災が起きたとき、神戸の歴史ある異人館「うろこの家」が倒壊しましたが、わたしはたまたまその数か月前にそこを訪れていました。近年では沖縄の首里城が昨年火災で全焼し、海外でも同じく昨年、パリのノートルダム大聖堂の大部分が失火で焼け落ちました。直島のオブジェを含め、これらいずれも「いつか行ってみたい」「そのうち行ってみよう」と思っていた方も多い景勝地だと思います。

2011年の大震災のとき、わたしたちは「いつかしよう」「そのうちやろう」という想いや願いが、一夜にして永遠に叶わなくなることもある、という現実を思い知りました。あのとき、わたしも思ったものです。「いつか」という約束は無いのと同じ、本気なら日取りを決めて約束(予定)しようと。今日できることは今日やってしまおう、いま行けるところにはいま行こう、と。

海の中に流され、転がったかぼちゃを見て、コロナウイルス収束後は行きたかったところに行き、見たかったものを見ようと、以前にも増して思っています。