院長から

哀しみの春に

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去る2月24日の午後、ロシアがウクライナへ侵攻を始めたというニュースを目にして、一瞬ことばを失いました。その後は連日の、戦況に関する報道です。ニュースのトップトピックは「感染症」から「戦争」に代わりました。おりしも北京では、パラリンピックの開会を間近に控えていました。「スポーツに国境はない」とされていたはずでしたが、今大会では多くの参加国がロシアのパラリンピック参加に異議を表明しました。

毎年3月の今頃、新聞やテレビは東京大空襲のことを取りあげます。ここ数年は、「戦災孤児」と言われる方たちが、自分たちが戦後をどう生きてきたかを、「終戦後の日本」を後世に語り継ぐために、重い口を開いて語り始めています。11年前の3月10日の朝のわたしは、東京大空襲について自分が知るあれこれを思い浮かべていたような記憶があります。そしてその翌日、東日本大震災が発生しました。3月10日、そして11日と、日本人にとって大きな哀しみの記憶の日が続くこととなりました。そして震災でも、空襲と同様、沢山の子どもたちが孤児や遺児となりました。

いつの時代でも、そしてそれが人が引き起こしたものでもそうでなくとも、災厄によって人々は突然日常を奪われ、住む家を失い、時には故郷や祖国さえ捨てる(あきらめる)ことを余儀なくされます。ウクライナから国外へ逃れた民間人は、3月7日時点で150万人を超えたといわれます。様々な事情から親と離ればなれにならざるを得なかった11歳の少年が、たった一人で国境を越え、無事ポーランドの地を踏んだニュースを見ました。ウクライナにとどまった少年の母親は「息子を守ってくれた皆さんの親切に感謝します」と涙を流していましたが、国外へ避難できた少年のこれから先の人生がどうなるのかは、誰にもわかりません。今のウクライナには、この子供と同じように、明日がどうなるかも知れない「少年」たちが、どれだけ沢山いることでしょう。

厳しい冬が終わり光あふれる季節に向かう中、深い哀しみと静かに向き合う時間が増えています。日本中の人が、3月10日、3月11日の犠牲者の鎮魂と、世界平和を祈ってくださいますように。