デイサービスご利用中のTさんが書いたという、「私の昭和史(戦前、戦中、戦後)」と題した手記を読む機会がありました。昭和4年生まれの女性であるTさんが2年前に、「90才になって、恥ずかしいも何もない。こうして残しておこうと思った」と一気に書き上げ、A4版14ページにまとめられたもので、原稿用紙に換算すると30枚ほどになります。
手記は、Tさんが朝鮮の京城(今のソウル)に生まれて、京城の小学校入学にするところから始まり、戦時の空気が濃くなるにつれての学校生活の変化にふれており、興味深く読み進めました。お父上の仕事の都合で、小学4年生のときにいったん日本に帰国し、再び朝鮮に渡り、終戦をソウルで迎えた後の日本への引き揚げの様子も書いてあります。わたしも、満州からの邦人引き揚げについての記録は本を何冊か読みましたが、朝鮮からのものは記憶にありません。Tさんご本人も書いてある通り、韓国はアメリカに占領されたので、ソビエトに占領された満州や北朝鮮からの引き揚げ者に比べてかなり恵まれていた、ということでしたが、その事実はこの手記を読むことで寡聞にして初めて知りました。
また、戦後はじめて女性が選挙権を得たときの喜びの記憶が書いており、「二十歳の時以来、一度も投票を棄権したことがない」ともありました。女性の参政権についても、今まで身近に肉声で話を聞くことがなかったので、貴重な機会になりました。Tさんは今までもデイサービスご利用中に、他の利用者さんと戦中の話をなさっていることがおありだったとのことです。そのうち、わたしもお話の仲間に入れて頂き、ときどきお話をお聞きしたいと思います。
これもTさんが手記の中に書いておいでのことですが、先年のデイサービスのクリスマス行事で、ツリーに飾る願いごとのオーナメントに「今一番欲しいものを書きましょう」と言われ、「戦争のない世界」と記したそうです。
今回、ご本人は「誰が読んでくれるというあてもなく書いたものを読んで頂けただけで嬉しい」とおっしゃっていました。わたしたちは利用者さんの人生のほんの一部ですが、その人生の岐路にあったときのことを見せて(語って)頂いたことを嬉しく思います。
ロシアのウクライナへの侵攻が始まってから五ヶ月を経過しても、紛争の終息(収束)への道は見えません。戦争を体験したわたしたちの親世代は、どんな気持ちで報道を見ているのでしょうか。