秋の夜長は読書です。先夜、夕食後、食器のあと片付けもそこそこに開いたのは『この父ありて』。世に知られた9人の女性たちとその父親との関わりについて、数多の文献をもとに、遺族への聞き取りも重ねて書いています。著者の梯久美子氏は『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官 栗林忠道』でデビュー。同作は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、後年『硫黄島からの手紙』と題して映画化もされ話題になりました。
第一章は大ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者、渡辺和子さん(故人)で、和子さんの父上である渡辺錠太郎氏は、昭和11年の2.26事件の時、東京上荻窪の自宅で反乱軍の兵士の銃撃43発を受けて亡くなりました。その時、同じ部屋の衝立の陰で事の一部始終を見ていたのが、当時9才の和子さんでした。その後和子さんは信仰を持ち、洗礼を受け、36才の若さでノートルダム清心女子大の学長になり、63才で理事長に就任しました。長い間、父上を殺した人たちを赦すことができないままにいたそうですが、事件後50年を経て父の「かたき」のお墓参りをし、墓前で反乱軍として処刑された若者の、今はもう年老いた遺族と会ったとき、”相手方の苦しみ”に思いを致し、赦すことができたというのです。
実はわたしは、渡辺和子さんのこのお話を、水沢でご本人の講演の中で聴いています。水沢は和子さんの父上と同じ2.26事件で亡くなった斎藤實の出身地であり、墓所のあるこの地での講演というので、和子さんも思うところがおありとのことでした。その日、500名ほどが入るホールは満席となりました。和子さんはすでに学長におなりで知名度もあり、水沢の人々にとって親近感のある「斎藤閣下」と同日に亡くなった渡辺錠太郎氏の娘さんが話すのをぜひ聴きたいと思う方も多かったのでしょう。
そしてこの本の第二章は、同じく軍人の娘であり、こちらは2.26事件の”反乱軍側”の兵士と幼なじみだったという歌人の斉藤史さん(故人)を取りあげています。父親も軍人でありながら歌人でもあり、戦中は「歌詠みなど文弱の徒」とされ、出世の妨げになると言われても、「文武両道」を口にして受け流していたということです。史さんの幼なじみであり、父上の部下でもあった栗原安秀中尉は、2.26事件ののち、他の「謀反人」とともに銃殺刑に処せられています。
今や世界で最も有名なスポットのひとつ、渋谷のスクランブル交差点からもほど近い渋谷宇多川町に、「2.26事件慰霊像」があります。以前、たった一度だけそこを歩いて通り過ぎるとき、「えー、(処刑地は)こんなところだったのか」と驚いた記憶があります。わたしも、本やテレビで得た知識でしかありませんが、現NHK放送センターや税務署付近の一帯は東京陸軍刑務所の敷地だったということです。
渡辺和子さんと斉藤史さんが隣りあう章立てにしたのは無論意図的なものでしょうが、「2.26」と聞くとつい立ち止まってしまう奥州市民としては、ことさら印象の強い一冊になりました。